作ノートBelieve

2004年4月1日

映画『ビリーブ』を製作する目的でable映画製作委員会が発足。

4月24日

渋谷のシアター・イメージフォーラムで前作『ホストタウン』のロードショーが始まる。この頃、『ビリーブ』の具体的な構想が監督から提示される。構想の基本は、2005年2月26日から3月5日まで開催されるスペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会・長野を記録する映画を、知的発達障がいのある人たちと共につくること。 この構想は、監督が1999年にアメリカ・ノースカロライナ州で開催されたスペシャルオリンピックス夏期世界大会で”スペシャルオリンピックス・ロードアイランド・マガジン”(以下SOロードアイランド・マガジン)という知的発達障がいのあるTVクルーと出会ったことがきっかけになった。

5月

Believeクルーとして映画製作に参加するメンバーを探すため、監督がSO日本の様々な活動の場を訪問。同時にこれから半年以上にわたって映画撮影技術などをコーチ役として指導し、またBelieveクルーの成長記録をもう1台のカメラで撮影するプロのスタッフにも声をかけ始める。

SO日本・東京の水泳プログラムに参加し、アスリートと触れ合う岩崎恭子さん(バルセロナオリンピック200m平泳ぎ・金メダリスト)に、映画『ビリーブ』のコーチング・スタッフとして参加を要請し、快諾を得る。

6月

監督、アメリカを訪れ、SOロードアイランド・マガジンを視察。
2日間の視察やミーティングを通じて、これから日本で行う活動とそれを記録する映画「ビリーブ」の具体的な構想を練る。帰国後、Believeクルー最終選考に入る。 *選考の基準はあくまでも本人と家族の意志であり、また、今後半年間、毎週末、都内で実施する勉強会に通いやすい距離の在住者であることが条件となった。

6月27日

長野県諏訪市での前々作『エイブル』の上映会で、日本におけるスノーボードの草分け的存在である牛山奈穂美さんに出会い、『ビリーブ』のコーチングスタッフとして参加を要請、快諾を得る。

7月

Believeクルー、9人が決まる。彼らを記録するスタッフ側のメインカメラマンは、赤平勉。他のスタッフも決まる。Believeクルーの撮影機材はPanasonicのDVX100に決定。スタッフの機材はDVC-Pro-HD Varicam。スチールカメラは、ディマージュZ3とα7。

7月31日

1回目のオールスタッフ、オールクルーのミーティングが東京の渋谷で行われる。スタッフ11名、クルー9名の自己紹介。クルーの家族も同席の上、これからのスケジュールや映画製作の目的などの説明会が行われた。クルーは、初めてカメラや三脚に触れる。

8月初旬

監督と数名のスタッフで長野県内の合宿地候補をロケハン。自然との触れあいの中で、新鮮な興味からカメラを覗きたくなるような場所で、個室ではなく数名単位で泊まる事ができ、お風呂には皆で入れる宿といった環境を探す。山歩きなどの計画を安全に楽しく実行するため、エベレスト登頂経験もある続素美代さんにコーチングスタッフとして参加を依頼、快諾を得る。

8月31日~9月2日

夏合宿(長野県大町市)。Believeクルーの撮影機材4セット、クルーを撮影するスタッフの機材1セットを積み込み、総勢20名が出発。 初日は、アルピニストの続さんの指導のもと、半日山を歩き川遊び。夜には皆で温泉に入った後、バーベキュー。クルーは、すっかり仲間として打ち解ける。2日目は、撮影の勉強。実際にカメラを覗いて撮影をしてみた。3日目は、時間の許す限り録音の仕方などの撮影実習。クルー同士のちょっとした口論もあったが、これも真剣さのあらわれ・・・。夕方までに東京に帰る。

9月の撮影勉強会

おもに、カメラの組み立て方を学び、機材の大切さを知る。すべての事を9人が同じように繰り返し実施。録画スイッチを押すことの重要性も学ぶ。インタビューのやり方は、お互いが交互に聞き手・話し手になって練習。岩崎恭子さんが参加したときには、興奮気味のクルーがいきなり記者会見のようなインタビューを開始してびっくり。

9月4日

熊本県阿蘇神社で500万人トーチラン聖火の採火式が行われ、監督が撮影。

9月中旬

監督、秋合宿のロケハンで長野県諏訪市に、クルーが撮影する諏訪湖や様々な障害者施設を見学する。

10月の撮影勉強会

撮影の赤平勉の指導で、カメラや三脚の操作、組み立ての基本を繰り返し実習。つづいて、角田孝司の指導でスチールカメラの使い方を勉強。撮りたいものは、体で動いて撮ること、人物を撮りたいときは”撮ってもいいですか?”と聞くことなどを学ぶ。そして実際に野外へ出て、街や公園で実習した。

10月2日~5日

秋の合宿(長野県諏訪市・松本市)
細川、近衛、三井のプロデューサー3人と11人のスタッフ、9人のクルーにゲスト参加の岩崎恭子さんを含め24名が参加。台風の影響で強い雨の中、500万人トーチランをクルー全員で取材。

2日目は、清水学園(知的発達障がいのある0~6歳までの通所施設)と、さざ波の家(通所の福祉作業所)を取材。

3日目は、エプソンミズベ松本工場(障害者雇用率6割)を訪問し、特に知的発達障がいのある人が働く防塵衣クリーニング工場を取材した。

11月の撮影勉強会

カメラや三脚の組み立て方、録音機材の接続の仕方、スチールカメラの使い方などの基本を繰り返し勉強。

次に照明マン小西俊雄のもとで「照明とは何か」を学び、実際にライトに触れながらの撮影実習。照明で部屋が温かくなったのか、ついうとうとするクルーも。

11月27日

監督、SO世界大会にエントリーするスケ-ト種目のアスリート合宿を岡谷市スケートリンクを視察。

12月の撮影勉強会

照明マン小西の指導のもと、自分の子供の頃の写真を接写したり、インタビューしたりと、笑いの中での撮影実習を体験。録音技師の久保重朗による勉強会では、音を録る実習。マイクとカメラの間を繋ぐミキサーの存在がややこしい!また、インタビュー練習の際に、「声がもっと出ないのかな?」ということになり、元CBSアナウンサー阿部恵さんに協力を要請。阿部さん指導の「発声練習教室」が始まる。クルーに大人気の授業となる!

12月19日

福島県池田町の500万人トーチランを監督が取材撮影。

2005年
1月の撮影勉強会

阿部さんの指導で、発声練習を生かしたインタビューの実践。海外のアスリートを想定したインタビュー練習が楽しく進む。撮影の基本を体に覚えさせる勉強も、楽しく学べるように、クイズ形式で動きのある実習をする。

冬合宿の前には、クルー自身が全ての機材を自由に自主的に操作してみる。スタッフの見つめる前でクルーは自信満々。互いが助け合いながら進んでいくが、壁に当たることも。しかし、それもスタッフの助言で解決。皆、撮影を楽しむ。

1月6日

クルーも参加して、東京消防出初め式での500万人トーチランを取材撮影。

1月9日~10日

監督、冬合宿のロケハンで白馬へ。白馬の合宿は、9人のクルーが雪の上にカメラを立てて、実際に競技するアスリートを撮影できるようになる事が目的であるため、撮影場所や宿舎、食事など入念な準備が必要になった。

1月23日~26日

冬合宿(白馬)に出発。ゲレンデでの撮影には、牛山奈穂美さんの呼びかけでスノーボーダーの仲間たちが滑走協力してくれる事になった。 初日は、雪山を歩き”雪は滑る”という感覚を身につけること。夜は、ゲレンデで滑走するスキーヤーを見学。

2日目、牛山奈穂美さんとその仲間が滑るスノーボードを見る。”かっこいい!”とクルーは興奮、そこで午後は皆でスノボー体験。おっかなびっくりだったクルーも含め、2時間後には9人全員が楽しんで滑るまでに。

3日目、プロのスノーボーダーの滑りを真剣にカメラで追った。
4日目の朝、昨日撮影した映像を皆で楽しく試写会。夕方までに帰京。

2月の撮影勉強会

都内で最後の勉強会となる。もう全員が”撮影クルー”になっている。最後に、もう一度基本的な機材の扱いや組み立てを練習。あとは、本番の時まで健康に気をつけて生活する事を約束して解散。

2月1日

大会事務局と監督が、世界大会での撮影についてのミーティング。

2月2日

アメリカのフィギアスケートチームのホストタウンとなる軽井沢町を撮影することに決め、視察と打合せ。

2月13日~15日

監督、ギリシャに赴き、アテネでSO世界大会の聖火の採火を撮影。

2月18日

聖火の日本到着イベントを総理官邸にて撮影。取材クルーは、カメラは宮崎、音声は川口、撮影助手は勝又。 そして増満が小泉首相に突撃インタビュー。

2月19日

長野県松本市で聖火と500万人トーチランの続火式撮影。

2月22日

世界大会取材のため、クルースタッフ全員、東京を出発。 期間中の宿となるのは、善光寺の宿坊、淵の坊だ。開会式前日、長野県全体を走ってきたトーチが善光寺境内に到着。その取材中、クルーはアメリカから取材に来たSOロードアイランド・マガジンのTVクルーに合う。

2月26日~3月5日

SO冬季世界大会・長野が始まる。いよいよBelieveクルーが世界のメディアの仲間入りをした。 開会式、体験プログラム、スノーボード、クロスカントリー、フィギアスケート、フロアホッケー、閉会式を撮影。

SOの創設者ユニス・ケネディ・シュライバー婦人へのインタビューはSOロードアイランド・マガジンと共同で行った。 他にも多くのVIPやアスリートへのインタビュー取材を会期中実施。

3月6日

閉会式翌日。クルー自身で機材の手入れを終え、梱包後、バスで帰京。解散。

3月20日

スタッフ、クルーが撮影した200時間の素材から編集が始まる。スタッフがハイビジョンカメラで撮影した映像は1秒間に24コマ。クルーが撮影したDVの映像は1秒間に30コマ方式も画質も画面サイズも違う映像をMIXしての編集がVDIDという映像編集ソフトによってコンピュータ上で進められた。映像の容量が大きすぎるのか、ハードディスクのトラブルなどがたびたび発生、編集はそのたびに後戻りした。

5月22日~23日

"今度いつ撮影するんですか?"。Believeクルーから寄せられたこんな問いに、監督が答えるかたちで撮影旅行が実現。クルーの活動をこの後どのような形で継続していけるか、それぞれの日常の中で時には撮影の場を作れたら、という思いから計画。撮影は長野県で田植えが行われる時期に実施。スポーツとは異なる対象にもクルーは自主的なレポート取材を立派にこなした。

6月~7月

編集作業がつづく。

7月23日

編集も終わりを迎える頃。震度5強の地震が関東地方に起こる。突然の大きな揺れに驚いた監督は、倒れそうになったコンピュータ本体を押さえた。その瞬間、ハードディスクとの接続ケーブルが抜けてしまい、全体の35%にあたる1テラもの編集済みデータが壊れてしまう。データを復旧する作業が始まる。 監督が気を取り戻すのには、数日かかった。

7月25日

編集未完成の中、監督と音楽監督の指揮者・小林研一郎氏との間で音楽の打合せ。

8月10日

録音スタッフが集まり未完成の編集を試写、今後の対策を打合せ。

8月11日

編集作業の大きな遅れを取り戻すため、監督編集と併行して出来上がった部分の編集データをもとにハイビジョン画質での本編集に入る。夜を徹しての作業が続く。

8月17日

監督編集がようやく完成。4ヶ月半かかった。

8月19日

翌日、徹夜作業でハイビジョンでの本編集が完成。

8月20日~15日

IMAGICAでの色補正作業とタイトル作業。

9月2日

デジタルから35mmフィルムにするため、音無しのラッシュプリントが上がり、監督がチェック。最終的な色補正作業が始まる。

9月3日

音楽が完成。

9月5日

滝田栄氏のナレーションを録音。

9月15日

0号、初号が上がり、IMAGICAにおいて試写。完成。

8月19日

翌日、徹夜作業でハイビジョンでの本編集が完成。