able

アリゾナに住むキャサリンとマーク夫妻は、知的発達障がいのある日本の少年2人をホストファミリーとして受け入れ、数カ月間、一緒に暮らすことを決めた。19才のゲン・ワタナベはダウン症、17才のジュン・タカハシは自閉症である。キャサリンとマークには、それまでほとんど障がいについての知識がなかった。果たして本当に2人と暮らしていけるのだろうか...。年長のゲンは、リハビリテーション・センターで仕事のトレーニングを始めた。年下のジュンは地元のハイスクールへ通い始めた。そして2人とも、知的発達障がい者のスポーツを振興する国際的な組織である「スペシャルオリンピックス」のバスケットボールゲームに参加することになった。

映画『able/エイブル』は、ここ数年の映画の中で、とびぬけて魅力的な2人の登場人物を主人公にしたドキュメンタリーである。 2人の少年には知的発達障がいがある。この映画は、彼らが言葉も習慣も違うアメリカでそれぞれの可能性を広げていく冒険映画であり、日々の暮らしの中で彼らが周囲の人と信頼関係をつくっていく可能性を綴った日常の記録だ。カメラは丹念に優しく、2人のそれぞれに際立つ個性をすくいあげていく。私たちは、「障がい者」という言葉で彼らをひと括りにしてしまいがちだが、彼らの個性は鮮やかに異なり、どちらも魅力的なキャラクターを発揮する。瞬間瞬間を楽しむのが上手で、見事なダンスを披露するゲン。イルカを触るのは嫌なのに、イルカを眺めているのは大好きなジュン。2人ともユーモアのセンスは抜群だ。この映画で、2人は堂々の主役なのだ。私たちは、彼らを見ながらふと思う。「知的障がい」と「健常者」の違いとは何なのだろう、と。

監督は、テレビ・映画の長編ドキュメンタリーで知られる小栗謙一。1999年には、第10回スペシャルオリンピックス世界大会のテレビドキュメンタリーを手がけている。製作は、スペシャルオリンピックス日本前理事長を務める細川佳代子で、この映画の製作のために「able映画制作基金」を設立し、多くの方の寄付を募って映画を完成させた。 映画化のきっかけとなった、スペシャルオリンピックス世界大会について、監督の小栗はこう語る。「大会場に集まった観衆の誰もが、“障がい者に良いことをしよう”“障がい者を支援しよう”といった気持ちで来ているのではなかった。誰もが、普通のスポーツ競技会を楽しむようにやってきていた」。

当初、小栗は、障がい者への注目を集めるために、たとえば映画『レインマン』のダスティン・ホフマンのように数を覚えることに際立った才能がある、また障がい者でありながら100メートルを10秒で走る抜ける、といった「出来る=able」が一目でわかるような登場人物を配した方がいいのではないかと逡巡したという。しかし、最終的に、小栗は、無口でどこも特別には見えないゲンとジュンを選んだ。誰か特別な障がい者の物語ではなく、どこにでもいる、でもそれぞれに特別な個性を持った少年の「可能性=able」の物語がこうして生まれた。撮影は、2001年の2月から初夏まで。撮影テープは100時間にも及んだ。

これは、知的発達障がいのある人々それぞれの「可能性=able」の物語であるとともに、ある意味で、いわゆる健常者とよばれる人間が、知らず知らずに意識している「知的発達障がい」という先入観を破って、彼ら一人ひとりとつきあっていく「可能性=able」の物語でもあるといえるだろう。なお、本作は2001年毎日映画コンクール記録文化映画賞を受賞した。

この映画を見ると、たくさんのことが話したくなる。
◎「障がい者」と「健常者」の違いということ。
◎コミュニケーションのこと。
◎家族のこと。友達のこと。
◎アメリカという社会のこと。
◎日本という社会のこと。
◎人間の魅力、個性のこと。
◎誰にもある可能性のこと。

きっとたくさんの感じ方があり、たくさんの意見がある。
たくさん話すことで何かが変わっていくことがある。